「諦めないで」で明らめる

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 不登校のわが子と向き合っていくためには、どんなことが必要なのでしょうか。親の方には、どんな見方、考え方が求められるのでしょうか。
 「諦(あき)める」とは「希望をすてること」ですが、「明(あき)らめる」は「真実をはっきりさせる」「心を明るくする」という意味です。もともとは「明らかに見る」という言葉だったようです。ですから、「明(あき)らめて努力する」ということは、自分のすべきこと、やらなこてもいいこと、やってもしょうがないこと、やってはいけないことをはっきりと自覚した上で努力するということです。
 不登校のわが子とつきあう時にはこの「明(あき)らめる」ことが大切なように思えます。
 例えば、どうしても学校に行くことができない、または、行きたくないわが子に「どうすれば学校にいくようになるのか」と考えて行動することは、子どもを追い詰めてしまうことが多いです。仮に子どもを登校させることができても、子どもが親や教師のために学校に行っているのでは長続きしません。親や教師が自分を安心させるために子どもを登校させることは、多くの場合子どものためにはなりません。毎日、神経をすり減らしながら登校することで、子どもは傷つき疲れ、やがて何をすることも嫌になってくる。そうしたケースをよく目にします。
 そんな時。「この子は(今)学校に行かない・いけない」と学校に行かないことを受け入れることが求められます。(今は)将来のことを考えながら対応するのではなく、「今を輝く」ことを考えることが求められます。
 一人で考えたり、思ったりしているのではなく、誰かとつながって確かめていくことも・・・・・・・例えば親の会などに参加して、多くの人とそうした見方、考え方について確かめていくことも一つの方法です。(一人で考えていると危うい場合もあるので)「今を生きることの大切さ」に気づくと不思議です。あれほど気になっていた学校が、それほど気にならなくなります。だらしなく見えていた子どもの姿が「これで良いんだ。」と思えてきます。すると、心が穏やかになってきます。毎朝のあの不安やイライラはなんだったんだろうと思えるほど、いつもと変わらない生活ができてきます。
 子どもの一番そばにいる親が落ち着くと、子どもは「これからどうしたいか」を考えることができます。勿論、不安から一時的に荒れたように見えることもありますが、大丈夫です。子どもはちゃんと成長し続けていきます。
            (星の会 不登校に関するコラムからの引用)

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